あの人菅島

【STORY002】不思議なご縁で、珈琲屋さんへ

菅島で生まれ育ち、高校卒業後に名古屋へ。結婚後はパートをしながら、妹・美和子さんが経営する花屋を時折手伝う中で、ふとしたご縁からレトロ喫茶「」のオーナーとなって9年。

島を懐かしみながら、島を想いながら、今日もカウンターに立つ永井博子 さん(旧姓西村)に、菅島の記憶と今の思いを語っていただきました。 

記事の最後に博子さんをイメージして制作した曲を載せてますので、是非最後までお読みください。

──喫茶店を始める前は、何をされていたんですか? 

結婚して主婦をしながら、パートをしてました。妹の美和子が独立して花屋を始めてからは、たまに花屋のお手伝いもしていました。

10年前に離婚して、これからの自分の人生をどうしようかなって考えていたときに、喫茶店の話が持ち上がって。一度は断ったんですけど、結局引き受けることになったんです。 

──今の喫茶店との出会いは? 

花屋の隣に、ずっと昔からある喫茶店なんです。昭和の頃からやってる、本当にレトロなお店で。

70代のおじいちゃんが一人でやっていて。そのおじいちゃんが、お隣のよしみで花屋にモーニングを配達してくれてたりして、すごく好きなお店でした。 

──それがどうしてご自身のお店に? 

ある日突然、そのおじいちゃんが亡くなってしまったんです。身寄りがなくて、ビルのオーナーさんが新しい経営者を探すことになって。

そうしたら妹夫婦が「借りる」って決めてしまって(笑)。

で、妹から「お姉ちゃん、やるかどうか今週中に返事して、遅れたら別の人探すよ」って急かされて。もうこれは何かの転機かな、と思って乗っかることにしたんです。周りに固められていく感じでしたね(笑)。 

妹 美和子さんのインタビューはこちら

【STORY 001】海に育ち、花に生きる

──やってみてどうでしたか? 

よかったです。

妹夫婦が居場所を作ってくれたと思っています。花屋は妹の場所で、自分は間借りしている感じだったけど、喫茶店は自分の居場所になった。本当にありがたくて。

あのおじいちゃんのお店を引き継いで、今年で9年目になりました。 

──菅島での子供の頃の思い出を聞かせてください。 

夏の思い出が一番大きいですね。

毎朝ラジオ体操に学校へ行って、スタンプをもらって。

それからなこらの浜で泳いで、灯台の方の山へクワガタやカブトムシを捕まえに行ったり。女の子でも全然行きましたよ、山。楽しくて。もう断然夏が好きでした。 

──給食がなかった頃の思い出 

給食がなかったんですよ、当時は。だから兄弟3人でお昼に家まで走って帰って、インスタントラーメン作って、テレビ見て、また学校に戻るっていう。「笑ってる場合ですよ」(笑っていいとも!の前身となるお昼の番組)や「あなたの知らない世界」とかを見てたかなあ。

島だからできた昼ごはんの時間でしたよね。 

──初めての給食の思い出 

鳥羽の中学に通い始めて、初めて給食っていうものを食べて。ロールパンを丸かじりしてたら、男の子に笑われたんですよ。「ちぎって食べろ」って。街の子はそうなんだ、って。恥ずかしかったのは今でも忘れませんね(笑)。 

 ──今と昔で、島はどう変わりましたか? 

土地がだいぶ変わりましたね。今の人工島があるあたり、あそこ全部海だったんですよ。

船着き場も今とは違う場所にあって、漁協の真ん前に船がついていた。お盆祭りをやるあたりも、みんな埋め立てたところです。自分がいる間に少しずつ工事が進んでいった感じでした。 

──変わらないものはありますか? 

家に上がっていくあの道、あれは変わってないですね。帰ってくるたびに、ああ、この道この道って思う。家は建て替わっても、道はあの道のまま。帰ってきたんだなってなる。 

博子さんの実家につながる坂道

──好きな場所はどこでしたか? 

今はもうない堤防なのですが、えびしまの近くにあった堤防が好きでした。

高校生の頃は、夜に友達と集まって、寝転がって空を見ながらいろんなこと喋ってました。星も綺麗でした。あの堤防は、友達との思い出が詰まったかけがえのない場所であり、思い出です。 

港の改修が行われる前は、ここから真っすぐ海に行く堤防と灯台があった。
博子さんの思い出の場所

──菅島での経験が今に活きていると感じますか? 

両親が漁業をやっていたので、朝起きたらもういないんですよ。

だから3人兄弟で自分たちでご飯を作って、学校に行って。自分でやらなきゃいけないっていうのが最初から身についてたと思います。だから喫茶店でいろいろ作ることも、最初から全然こわくなかった。 

──島を出て、改めて感じる菅島の魅力は? 

私の場合は、菅島から出たくて出たくてしょうがなくて出たんですよ、とにかく都会に憧れてて(笑)。でも大人になってからよくわかったのは、山に行ったり海に行ったり、野生児みたいに育ったことは自分にとってプラスしかなかったな、って。都会で育ってたら、こんな自分じゃなかったと思う。

──今、島に住んでいる方々へメッセージをいただけますか。 

島の外から見ていると、もったいないなって思うことがあって。

菅島って、灯台もあるし、自然の豊かさもあるし、本当に魅力がいっぱいある島だと思うんですよ。

だから、もっといろんな人に知ってもらえたらいいなって。ゆめちゃん(地域おこし協力隊の移住者)みたいに菅島を好きになって来てくれる人もいるし、外に出た私たちにとっても帰れる場所があるのはすごく大切なことで。

島のみんなと一緒に、その縁を少しずつ育てていけたら嬉しいな、って思っています。 

今年のしろんご祭では、妹美和子さんと祭り会場で珈琲屋を出店。大盛況で大好評でした

私そのもの。
誇りを持って『菅島人です』って言えるっていうか……菅島は、私そのもの。そんな感じかな

【プロフィール】永井博子さん(旧姓西村) 

菅島生まれ。高校卒業後、名古屋に就職。

結婚後はパートをしながら、妹・美和子さんが独立した花屋を時折手伝っていた。

10年前に離婚し、これからの人生を模索するなかで、花屋の隣にあった昭和創業のレトロ喫茶「蘭」を引き継ぎオーナーに。

昭和の空気を残すその喫茶店を守り続けて、今年で9年目となった。 

喫茶蘭 https://ran.nagoya/

博子さんのインタビューを元に制作した曲「珈琲色の帰り道」
是非お聞きください。

菅島には、たくさんの人生があります。

島で生まれ育った人。 今も島で暮らしている人。 島を離れて活躍している人。 仕事や家族を通じて菅島とつながっている人。

「あの人菅島」は、そんな一人ひとりの人生や想いをインタビューとして記録し、未来へ残していくプロジェクトです。

掲載させていただいた方には、インタビュー内容をもとに、その人だけのオリジナルソングを制作します。

あなた自身でも、 紹介したい方でも、 ぜひご応募ください。

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